国境の島の魅力
日本海に浮かぶ・・・かけがえのない国境の島とは?
浅茅湾
浅茅湾:対馬の中央にあるリアス式海岸。湾内にはたくさんの小島が浮かび、とっても美しい風景がひろがっています。
城山から
対馬は平野が少なく、山林が89%ともいわれます。山にのぼると海がみえます。城山からの風景です。
神崎
神崎:対馬の最南端の岬です。豆酘崎から撮られたものです。
星空
対馬の夜は空気が澄みきっているせいなのでしょうか。東京より星が大きく見えます。
対馬の昼は・・・海がきれいです。対馬の夜は・・・星がきれいです。

対馬は島の面積の89%が照葉樹林などの山林が占めています。対馬は東シナ海から日本海へ通じる海の道に浮かんでおり、透明度の高い海は浅茅湾や神崎などで海中公園となっています。(1968年-昭和43年-7月22日には、対馬全島は壱岐島とともに壱岐対馬国定公園に指定されいる)ことなど からも海のきれいさや空気のきれいなことが想像いただけるのではないでしょうか。わたしはいま東京に在住しているのですが、中学生までは対馬の最南端神崎がみえる町で過ごしていました。数年前 帰省したおり、 夏の夜 見上げる空に満天の星がひろがっていました。じっと空を眺めていると格別な思いがこみあげてきて、この島への愛おしさに自分でも驚いたものです。季節折々に変わる美しい対馬の風景はこちらからごらんください。

いつの時代も・・・大陸と日本列島をつないできた島 対馬

 対馬は韓国へ 一番近い(49.5km)国境の島です。古代から現代までいつの時代もユーラシア大陸と日本をつなぐ懸け橋となってきました。  たとえば 大化改新ののち律令制が施行されると、対馬は西海道に属する令制国すなわち対馬国として現在の厳原(いづはら)に国府が置かれ、大宰府(福岡県)の管轄下に入ったそうです。  推古天皇における600年(推古8年)と607年(推古15年)の遣隋使も、また630年(舒明2年)の犬上御田鍬よりはじまる初期の遣唐使もすべて航海は壱岐と対馬を航路の寄港地としていたとのことです (ウイキペディアより)。そんな対馬には国境の島ならではのめずらしい動物、植物などもたくさん生息しています。ツシマヤマネコ、ツシマテン、アキマドボタル 、シマトウヒレン、ツシマギボウシ、オウゴンオニユリ、また国の天然記念物 鰐浦のヒトツバタゴの大群生は日本最大と言われ、季節になると多くの観光客でにぎわいます。その道の専門家や愛好家など はもちろん、一般の方々にも興味が尽きない島かもしれません。

歴史も 文化も 国境の島ならではの 万葉のロマンのはなし・・・いかがですか。 

『魏志』倭人伝では、「対馬国」は倭の一国として登場します。また、8世紀中ごろの日本最古の和歌集『万葉集』には「百船(ももふな)の泊(は)つる対馬の浅茅山 時雨(しぐれ)の雨にもみだひにけり」とありはじめて対馬という地名がでてくるそうです。 『万葉集』には、他にも「浅茅浦」「竹敷の浦」などの地名がみられるようです。こんな短歌も残されています。「玉槻」という対馬在住とみられる女性による、短歌「竹敷(たけしき)の玉藻なびかしこぎ出なむ 君が御船をいつとか待たむ」と いう歌です。千数百年前の対馬で実際あった恋愛の話です。遠い遠い昔の時代、この島で今とかわらない恋の話があったこと、またその記録が残っていることに不思議な感動を覚えます。いにしえのロマンは歴史への興味をかきたてられますね。 この国境の島・対馬は大陸と日本列島をつなぐまさに懸け橋となってきました。その独特の歴史や文化そして個性的な自然や固有の生物など まさに尽きない魅力がありながら、多くの人に知られていないことが残念です。このHPがきっかけとなり、少しでも対馬に興味をもっていただけるとうれしいです。